大洞山雲林寺
- 2022年09月23日
- 管理者 さん
寺社詳細
寺社名 | 大洞山雲林寺 |
---|---|
ふりがな | だいどうざんうんりんじ |
御祭神・御本尊 | |
所在地 | 群馬県吾妻郡長野原町長野原73 |
最寄り駅 | JR吾妻線群馬大津駅 900m |
HP | |
御朱印 |
通常 直書き 御朱印は、直書きで頂けます |
御朱印サイズ | |
御朱印帳 | 無し |
御朱印帳サイズ | |
授与所 | 無し |
受付 | 毎日 |
受付時間 |
御朱印は、本堂右手の庫裏にて頂けますが、確実に頂きたい方は、事前に確認することをお勧めします。 |
御朱印参考画像
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群馬県長野原町の大洞山雲林寺です。
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雲林寺の参道です。
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雲林寺の境内です。
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雲林寺の鐘楼です。
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雲林寺の本堂です。
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雲林寺のご由来です。
補足情報
御入場料 | |
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御朱印郵送対応 | 不明 |
御朱印事前予約 | 不明 |
トイレの有無 |
アクセスマップ
投稿者よりコメント
洞山雲林寺は、群馬県長野原町の寺院です。曹洞宗に属し、
本尊は、釈迦如来です。開山は永禄二年(1581)後閑の長源寺九世、為景清春に
曹洞宗大洞山雲林寺として創建され、同年永禄二年三月十五日、海野幸光が開基となって
現所在地に伽藍を再建しました。
天明三年(1783)七月八日、浅間山の噴火により吾妻側流域の村々は一瞬にして
溶岩泥流に溢れ、泥海と化し、当時の人口の半分に当たる約200人の方が亡くなりました。
雲林寺も柱を二本だけ残して泥流に消えましたが、地元の有志が集い再建されました。
浅間山噴火の被害については、嬬恋村の鎌原観音堂が有名ですが、この雲林寺とその周辺も多大な被害に遭っています。江戸時代なので詳細な記録はありませんが、当時多くの方々が亡くなったことがわかります。埼玉県の児玉三十三霊場は、浅間山大噴火の犠牲者の
供養の為に始まりました。
雲林寺は、国道145号沿いにあるお寺です。参道の入り口には、石碑がありまた参道の脇には、杉の木が立ち並んでいるのですぐにわかると思います。参道には浅間山大噴火の後
30年後、お寺が再建されたことを刻んだ石地蔵があります。参道を進むと石段が登ると
境内に入ります。境内には本堂や鐘楼が立ち並んでいます。
御朱印は、本堂右手の庫裏にて直書きにて頂けます。常駐ではないと思われますので、
確実に御朱印を頂きたい方は、事前に連絡をした方が良いと思います。
最寄り駅は、吾妻線群馬大津駅です。約900m離れています。バスで来る場合は、長野原駅から草津温泉行に乗り、JRバス長野原支店前で降りると近いです。バスは、1時間に1本の間隔であるので来やすいと思います。
本尊は、釈迦如来です。開山は永禄二年(1581)後閑の長源寺九世、為景清春に
曹洞宗大洞山雲林寺として創建され、同年永禄二年三月十五日、海野幸光が開基となって
現所在地に伽藍を再建しました。
天明三年(1783)七月八日、浅間山の噴火により吾妻側流域の村々は一瞬にして
溶岩泥流に溢れ、泥海と化し、当時の人口の半分に当たる約200人の方が亡くなりました。
雲林寺も柱を二本だけ残して泥流に消えましたが、地元の有志が集い再建されました。
浅間山噴火の被害については、嬬恋村の鎌原観音堂が有名ですが、この雲林寺とその周辺も多大な被害に遭っています。江戸時代なので詳細な記録はありませんが、当時多くの方々が亡くなったことがわかります。埼玉県の児玉三十三霊場は、浅間山大噴火の犠牲者の
供養の為に始まりました。
雲林寺は、国道145号沿いにあるお寺です。参道の入り口には、石碑がありまた参道の脇には、杉の木が立ち並んでいるのですぐにわかると思います。参道には浅間山大噴火の後
30年後、お寺が再建されたことを刻んだ石地蔵があります。参道を進むと石段が登ると
境内に入ります。境内には本堂や鐘楼が立ち並んでいます。
御朱印は、本堂右手の庫裏にて直書きにて頂けます。常駐ではないと思われますので、
確実に御朱印を頂きたい方は、事前に連絡をした方が良いと思います。
最寄り駅は、吾妻線群馬大津駅です。約900m離れています。バスで来る場合は、長野原駅から草津温泉行に乗り、JRバス長野原支店前で降りると近いです。バスは、1時間に1本の間隔であるので来やすいと思います。